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魔法ファンタジーの読者のニーズを満たしながら魔法を啓蒙するということ。
魔法ファンタジーの読者のニーズを満たしながら魔法を啓蒙するということ。 この記事は、「妖刀とは本当にあるの?」の内容の追記のようなものです。 当サイトの管理人様は、2作のライトノベルを執筆して皆さんに公開しました。 そのことはもうご存じでしょうか。 ガイド霊から「ライトノベルを書いて」と指示が出ての執筆でしたが、彼はこれを書くことに相当苦労したはずです。ただ面白いライトノベルを書くだけでも苦労するものですが、巷のライトノベル作家よりもさらに苦労したはずです。 なぜならば、管理人様は「魔法に溺れてはならない」という霊的摂理を痛切に理解されていらっしゃるからです。英雄(自己顕示欲)も良いことではない、と理解されていらっしゃるからです。 しかし、ライトノベルの読者は、魔法ファンタージを求めます。「魔法ですごいことが起きる」という話にワクワクします。そして勇者やヒロインが偉業を達成して英雄になることを、気持ちいいと感じます。 その読者のニーズを娯楽作品としてしっかり満たしつつ、「魔法に溺れてはいけない!」という霊的な啓蒙要素を印象付け
歌声が可愛らしい人は、歌う使命を持っていることが多いです。
使命は、生まれ育った家庭環境や生まれ持った体から推測できることも多いです。 たとえば、歌声が可愛らしい人は、歌う使命を持っていることが多いです。 特に、歌声だけが可愛らしい場合。 話し声はそう可愛らしいわけではないが、歌うと可愛らしい声になる、という人がいるでしょう。 このような人は特に、歌う使命を持っていることが多いです。 話し声すらも可愛らしくても、歌う使命を持っていることがあります。 哲学精神が豊かならなおさら、可能性が高い。 歌声が可愛らしいだけでなく哲学的精神が豊かなら、なおさら歌う使命を持っている可能性が高いです。 哲学性的精神が高いというのは、宮崎アニメのようなメッセージ色の強いものを好んだり、道徳心が高く掃除しない男子を注意したくてたまらないようなことです。 Mr.Childrenが好き、スナフキンが好き、いきものがかりが好き、星の王子さまが好き、といった人も哲学精神が高いでしょう。 My Little Loverの後釜を期待された子たちがいます。 「可愛い声で哲学を歌う?合わなくない?」と首をかしげる
「ドルフィン」は中川翔子さんのような人です。
「ドルフィン」は「オールドソウル」と同じくピュア・インディゴの一種で、優秀な宇宙人の魂を持つ人です。 端的に言って、芸能人の中川翔子さん(しょこたん)のような個性を持つ人が多いです。 芸術に長け、タレント性もある。 中川翔子さんは、歌がとても上手で、イラストも上手です。 「ドルフィン」はこのように、芸術の才能に長けます。歌やイラスト、または声優としての演技力など、エンタメ芸術の能力が高いことが多いです。1980年よりも前の生まれの「ドルフィン」の場合、デザインセンスやクラシック芸術に長けることもあります。 そして中川翔子さんは、可愛らしい容姿と陽気なおしゃべりも上手です。「ドルフィン」はやはり、アイドルような顔立ちとタレントのようなひょうきんな気質を持つことが多いです。 恋愛に対して超理想主義? 中川翔子さんは最近結婚をされましたが、若い頃からずっと、好みのタイプはドラゴンボールの悟空であるとかブルースリーであるとか言っていました。 二次元キャラが好きというよりも、現実生活で彼女の好みに適う人がとても少ないのでしょう。...
学校では何を学ぶべきなのか?
現代の学校教育は、「腐敗している」「本当の学力が身についていない」とよく批判されています。 しかし批判している人たちもまた、学校が何を教えるべき場所か、学校では何を学んでくるべきか、あまりわかっていない人が多いようです。 寺子屋はなぜ始まったか? 世界各地の文明で「学校」というものが始まったとき、それは明確な意義を持っていましたし、大きな意味を持っていました。 たとえば日本では「寺子屋」というものが学校の元になっています。 寺子屋が始まった目的は、「読み書きが出来るようになれば職業選択の幅が広がる」からです。 農業しか道の無かった庶民たちが、読み書きを覚え、世間を知ることで、仕事の幅が広がったのです。 鉄棒の授業は何のためにあるのか?木登りが出来るようになるため。 学校には立派な鉄棒が整備され、体育の授業で皆が逆上がりが出来るように厳しく鍛錬させられます。 なぜ逆上がりが出来るようになる必要があるのでしょうか?それは元来、木登りが出来るようになるためでした。自然の中でたくましく過ごせるための備えです。 それなのに現代の日本社会
なぜ「腹八分目」が良いのか?
健康を保つためにも太らないためにも「腹八分目」が良いと昔から言われています。 なぜ腹八分目が良いのでしょうか? 満腹まで食べるたびに、胃が大きくなってしまう。 小食か大食いかは、生まれ持った体質でも気質でもありません。 それは食習慣によって変わるものなのです。 満腹まで食べると、その食事量を消化しようと胃が発達していきます。 つまり、満腹まで食べるたびに、少しずつ胃が大きくなってしまうのです。 胃が大きくなってしまうと、標準的な一人前の量を食べても「まだ足りない」と感じるようになってしまいます。するともっと食べてしまうため、太ります。 それどころか、胃が大きくなってしまうと、「今日は食べすぎていないぞ」と感じていても、すでに摂取過多になってしまっていたりするのです。「腹八分目で抑えているつもりなのに太っていく」という困った習慣に陥ってしまいます・・・。 このような人は、胃が大きくなりすぎているのです。胃の消化力がたくましすぎるのです。 しかしそれは、「あなたが繰り返し食べ過ぎたから」にすぎません。 いつも腹八分目の人は、食
パワースポットには要注意な場所もあります。
パワースポットという言葉は現在、様々なニュアンスで使われていますが、本来の意味としては「エネルギーの非常に充満している場所」を指します。 霊触サイキックのある人はここで体がピリピリ、チリチリするのを感じたり、体がポカポカ温かくなるのを感じたりするでしょう。霊視や霊聴が冴えることがあります。 こうしたことから、「パワースポット巡り」というのがスピリチュアリストの間で流行ります。 しかし、パワースポットには要注意な場所もあります。 神社はパワースポット?良い気を持つ場所は少ない。 パワースポット巡りで最も頻繁に取り上げられるのは、神社でしょう。日本の関西地方には有名な神社が幾つかあります。 しかし、神社のすべてがパワースポットなわけではありません。 また、エネルギーの非常に充満するパワースポットであるとしても、「良い気の充満する場所でない」ところもあります。 スピリチュアリストたちによく賞賛されいてる神社でも、エネルギーの悪い神社が多いです。 名前は伏せますが、有名なところには行かないほうがよいです。 神社は、参拝者の「欲望の念」で充満し
霊的な師としての母親への失望は、仕方ないです。
霊的な知識の素地を、母親から教わったという人は多いでしょう。 しかしその反面、母親が取り組むスピリチュアルへの姿勢に失望を抱いた、という人も少なくはなさそうです。「なぜこんなにセラピーをとっかえひっかえするんだろうか?」といったことです。 霊的な師としての母親への失望は、仕方ないです。 霊的な師として、母親に失望を抱くことは、仕方ないことと言えます。 なぜなら、霊的な教育は、どこの国においてもどの流派においても不完全だからです。 「母の信仰がキリスト教ではなく仏教なら良かったのに」という問題ではないのです。 「母の興味がアロマテラピーではなくヒプノセラピーなら良かったのに」という問題ではないのです。 どの宗教もスピリチュアルメソッドも内容は不完全で、歪みやカルトを持っています。しかし巷で教えられているのはそれら有名なものばかりであるため、およそどこで霊性を学んだとしても、何かしらの誤りや盲目を含みます。 どこの母親も同じですから、「仕方ない」と割り切りましょう。 「魂があるのよ」という教育で御の字。 どういった宗教であろうと、
アセンションの達成は、本来はほとんどヒントがありません。
オーラの平均点数が70点を超えるような人が、増えてきているようです。 しかし、「私はそれほど達観しているとは思えない」と自分で感じる人もいるでしょう。 それは、そのとおりかもしれません。 アセンションの達成は、本来はほとんどヒントがありません。 従来のアセンション達成者たちは、そのほとんどが、このサイトのような情報も無しに達観していったのです。アセンションという概念すら知らずにアセンションした人が多いです。 オーラも知らず、「人は多彩であるべき」ということも知らずに、自分の感性だけを頼りに様々なことに挑戦し、様々な困難を乗り越え、高いオーラ値を身に着けたのです。 13次元においても同様です。 アセンション文明だからといって、13次元までの知恵が教育されているわけではありません。 それぞれの暮らしの中でなんとなく、「環境問題に立ち向かったほうがいいはずだ」「辛抱強く子育てをしたほうがいいはずだ」と感じて、新しい感性を身に着けていきます。 だから普通、アセンションの達成には100回もの転生を必要としますし、13次元の達成には膨大な時間を必
本当の熱中症対策は?
「熱中症」という言葉をニュースで見かけることが、昔よりも格段に増えました。 「熱中症対策に」と謳うジュースやアメなども増えましたが、熱中症にかかる人が減ったきざしはありません。 ある程度、暑さに慣れていくことが大切。 専門家たちは、「外に出ず、エアコンを点けて、涼しくしてお過ごし下さい」と言います。 しかし、このように過ごす人ほど、不意の外出の際などに熱中症にかかるでしょう。 熱中症も他の多くの病気と同じで、各人が耐性を付けることが大切です。 熱中症の耐性とは、暑さや日差し、汗をかくことです。 39度の日に海水浴などすべきではないのですが、そう苦しくもなさそうな日には、適度に日差しを浴びたり、暑さの中で我慢したり、汗を流したりすることが大切なのです。 昔の人々はあまり熱中症にはかかりませんでしたが、それは暑い日が少なかったからというよりも、家庭も社会もクーラーに依存していなかったために、日常的な生活で徐々に、暑さへの耐性を築いていたからです。 駆け回る子供たちは、熱中症にかからない。 外遊びを好む男の子たちなどは、お母さん
図々しい人を調子に乗せるのはよくないです。
人に施すことが好きな優しい人は、「明日は運動会で登校が早いから一緒に行こう」などと様々なお願いをしてくる人と引き合いやすくなります。人の役に立つことが好きなので、「何々をして」と素直に言ってくる人を心地よく感じたりするでしょう。これは、推し活が好きな気質の人にも言えます。 しかし、図々しい人を調子に乗せるのはよくないことです。 手助けする相手は選ぶべき。 人に施すことが好きな人は頼られるのが嬉しい反面、「人に振り回されがちだな」「骨折り損だなな」と悩むことも多いでしょう。 そういうプロセスを経ることも大切ではありますが、あまりにも自分が損をしてばかりと感じられるなら、人付き合いを見直すべきです。 誰に尽くすか、相手を慎重に見極めましょう。 簡潔に言って、図々しい人を調子に乗せるのは良いことではありません。 お願いの多い人は図々しい人。楽しいとしても苦労をこうむりがち。 「何々して」とお願いしてくることの多い人は、すなわち図々しい人です。お願いすることが染みついてしまっている人は、平気で人に物事を頼ろうとしたり、人からものを貰お
どのような環境対策活動をすべきだったのか?
1990年頃から、「環境問題」「環境対策」といった言葉が叫ばれるようになりました。 それからしばらく経ち、車の動力は変わりエアコン代は下がりましたが、地球環境が良くなった兆しはありません。 スピリチュアルなチャネリング文でも「環境対策に取り組むべき」という警鐘は数多く見られました。私たちは何をすべきだったのでしょうか? 環境対策をしても温暖化は進む。 まず、CO2の削減に世界規模で取り組んでも、温暖化は進みます。これは一部の学者にすでに提唱されていることですが、地球の温暖化は太陽の黒点運動など宇宙レベルの変化に伴って起きていることで、地球人がCO2排出の削減に取り組んでもなお進みます。とはいえ、私たちの環境対策の取り組みが温暖化などの進行を和らげることには繋がります。 エコロジーな商品を開発するだけでは不充分。 ここ30年ほどにおける日本の環境問題対策は、根本的に間違っていたと言えます。 エコロジーな商品の開発はすれどもそれをどんどん売りどんどん買い、商品を買い替えるサイクルはますます短くなるという超資本主義的なやり方は、致命的に
各色のオーラが100点に近づくと「楽しい」と感じているでしょう。
オーラを高める魂みがきは大切なことですが、80点や100点は目指さないほうがよいです。浮世離れしてしまい、生きづらくなりがちだからです。 しかし、意図せず100点に近づいてしまう人もいるでしょう。 70点、80点に達するのは苦しい。 オーラの向上は、ある程度までは楽しみながら行えます。芸術を楽しくたしなんでいれば、ブルーのオーラが50点、60点程度までは達しうると言えます。 しかし芸術について達観しようと思うと、苦しみにぶつかるでしょう。ブルーのオーラで70点を超えようと思うと、辛い経験を乗り越えていく必要があるでしょう。 各色のオーラが70点、80点に達しようとするとき、「苦しい」と感じることが多いです。 オーラが70点、80点もある人に対して、「あの人はすごいな!苦しかっただろうな!」と感じます。 各色のオーラが100点に近づくと「楽しい」「有意義」と感じているでしょう。 しかし各色のオーラが100点に近づいてくると、また新たな境地に達します。 100点に近いような感覚にいるとき、その色の事柄について「楽しい」「有意義」と
不安症はお金では解決できません。
なんとなくの不安にいつもさいなまれ、いまいち笑顔で暮らせない、といった人が特に女性には多いでしょう。 スピリチュアルの神秘に頼っても解決にはならず、「裕福な男性と結婚しようか」などと考えているところではないでしょうか? 不安症はお金では解決できません。 人生におけるなんとなくの不安は、お金を貯め込むことでは解決しません。 結局人は幾らお金を持ったところで、「このお金を失ったらどうしよう」という不安にさいなまれます。 一生暮らせるほどの大金を手にしたなら、今度はそれが誰かに奪われないか不安になります。金目のものを持てば持つほど、それを襲われることの不安が増えます。 取り入って得た仕事では不安症は解決しない。 「お金があるだけではだめだ」とわかっている人は少なくないでしょう。だから、お金を得るための「仕事」の獲得に多くの人は躍起になります。学歴信仰社会はその典型です。 昨今の学歴信仰社会では、競争が過熱しすぎています。 親が子の自由研究など手伝いすぎており、実際よりも自分を大きく見せようとしたり、ワイロを払うことで定員枠を確保しようと
名前に「龍」の字がつく人はインディゴチルドレンなの?
インディゴチルドレンの男性と付き合いたい、と憧れる女性は多いようです。クラスや職場を見渡して、誰がインディゴチルドレンであるのか推測しようとするでしょう。 アニメなどで、名前に「龍」の字のつく男の子が宇宙人や特殊な人間である、といった描写を見かけることがあります。その影響から、周囲の「龍」のつく男性をインディゴチルドレンだと思い込んでいないでしょうか? あまり関係はない。 名前に「龍」がつくからからといってインディゴチルドレンや「オールドソウル」である、といった決めつけはできません。 昔はややその傾向がありました。1980年代生まれ、それ以前の生まれについては、「龍」の字のつく人はピュア・インディゴであることが多かったです。 その子が身ごもられた際、ガイド霊が直感チャネリングで「龍の字を付けて!」と啓示したのです。それを上手くキャッチできて「龍」の字を授けられたインディゴチルドレンはいます。 近年の場合、「龍」の字がついていてもチャネリングで指示されたわけではなく、両親の好みでその字を使われたことがもっぱらです。...
自殺をしてはいけないの?自殺は罪悪なの?
自殺について書くことはあまりしたくないのですが、目を背けるわけにもいきません。 各種の宗教で「自殺をしてはいけない」と説きますが、真実はどうなのでしょうか。 基本的には、自殺をすべきではない。 基本的に、自殺はすべきではありません。 自殺は、人生からの逃避になってしまいます。親がいない、親がDVである、いじめに遭った、失恋した、リストラされた、など人生における大きな苦痛に対して、逃避しては生まれてきた意味がないのです。 特に、親が毒親であるとか、生まれつきの容姿によっていじめられる、といった宿命的な困難は、「今回の人生で乗り越えるべき課題」として設計してきたものであることが多く、そこから逃げるべきでないのです。 辛い事実ですが、「重いいじめを乗り越える」という課題を持って生まれる人も大勢います。 自殺自体が負のカルマとして制裁を受ける。 辛いからといって自殺してしまうと、「自殺して人生の困難を放棄した」という行動が負のカルマとして裁かれてしまいます。 その制裁として、霊界で痛々しい悪夢を見せられ続けたり、スラム街のような場所に
額がムズムズする。これは霊的な現象なの?
額がムズムズする、という不思議な感覚に驚くことがあります。 これは霊的な現象なのでしょうか? 第3の目が活性している。または反応している。 かなり高い確率で、それは霊的な現象です。霊触サイキックの一種と言えます。 額がムズムズと妙な感覚がするなら、それは第3の目が活性化している状態です。または第3の目が何かのエネルギーに反応している状態です。 第3の目はすなわち第6チャクラのこと。ロイヤルブルーのチャクラのことです。 サイキック能力に深く関連するチャクラです。 一般的には、額というよりは「眉間(みけん)」の辺りです。 比ゆ的な表現にすぎない。目があるわけではない。 「第3の目」というのは、あくまで比ゆ的な表現です。 サイキックの象徴的なものが霊視であることからそう呼ばれるようになったのでしょう。 第3の目が大きく活性したからといって、目に相応するものが眉間のあたりに開いたり表れたりするわけではありません。 霊視ではなく霊聴が発現していても、「第3の目が開いている」と表現できます。 「第6チャクラが開いている」という意味です
親が盲信するスピリチュアルとどう向き合うか?
「宗教二世」の問題が世間をにぎわせています。親が熱心な宗教信者で、その子供として育った人々の苦悩のことです。 それに似たものとして、「スピリチュアル二世」の問題も頻発しはじめるでしょう。 2000年前後、江原啓之さんやドリーンバーチューの流行によりスピリチュアルブームが起きましたが、その子供たちが思春期を迎えはじめています。 色々なセッションに手を出すなら、親は「魔女遊び」に中毒している。 子としては、親が熱中するスピリチュアルに対して、賛同してよいのか意見をしてあげたほうがよいのか、距離をとったほうがよいのか、悩むでしょう。 ナントカという波動治療が本当に有意義なものなのか、子供にはわかりようもありません。 目安があります。 親御さんが、色々なセッションに次から次へと手を出すようなら、それらはあまり効果がないでしょう。親御さんは、「魔女遊び」に恍惚してしまっているのです。これは良くないことです。 子供が次から次へとカードゲームやアニメを漁るのと同じようなことです。 物があれば誰でも開業できそうなものも、危うい。 2つ目の目安
子供の頃、祖父祖母の霊を視た。私ってすごいの?
世の中では、霊視の使える人が「すごい!」ともてはやされています。 しかし、記憶を辿ってみると「私も幼い頃、死んだお祖父さんの霊を視たことがあったなぁ」などと思い出す人もいるでしょう。平成世代以降には少なくないのです。 祖父祖母の霊など視るというのは、すごいことなのでしょうか? 平成世代においては、そうすごいことではない。 平成世代、令和世代の生まれの人にとっては、生まれつき霊視の能力を持つことはそうすごいこととは言えません。 もっと年配の人が生まれつき霊視の力を持っていた、という場合「少しすごい」と言えます。 年配者で霊視の能力を生まれ持つのは、過去世において霊感の修行をしたことのある人です。宗教的な環境で質素に生きていた事例が多く、たとえば熱心な仏教徒で座禅瞑想を愛しながら静かに暮らしていたりしたのです。 宗教信仰は6次元・ヴァイオレットのオーラの課題で、過去世では6次元程度の精神を持っていた可能性が高いです。日本人大衆の精神は1次元や2次元ばかりですから、6次元の過去世を持つのはなかなかすごいことです。 平成世代、令和世代の生


アセンションのイメージ。
以前私のコラムの中でご紹介したことのある、李子柒さんの自給自足的暮らしです。 彼女の暮らしはすなわち、「アセンション文明の暮らし」の説明としても役に立ちます。 李子柒さんはアセンションを達成しているわけではないですが、彼女の暮らしはアセンション文明の暮らしによく似ています。 可愛くおしゃれを楽しみながら自給自足することもできる。 アセンションという霊的理想を知ったとき、「なんだ、田舎での自給自足か。私は都市型生活から離れたくないわ。」と冷めてしまった女性は多いでしょう。 しかし李子柒さんの動画を見ていると、地球に優しい自給自足の暮らしと、都会的に可愛くおしゃれする楽しみは、共存できることがわかります! 李子柒さんは非常に勤勉に農業やDIYをしますが、それでいていつも美しい姿をしています。メイクやスキンケアをしっかり行っているのだろうと察せられます。そして可愛らしい女性らしい服を着ます。お姫様のようなドレス(着物?)まで手作りしようとします。 要するに、住む人に美意識があれば、おしゃれと自給自足は両立できるのです。 ...
キツネの霊は低級霊です!
「キツネに化かされる」という言葉が昔からあります。 おとぎ話にはキツネが人間をからかう悪者として描かれることは多く、そのキツネは「キツネの霊」で、突然姿を消したり変身をしたりすることが多いです。 しかし、日本の多くの神社ではキツネをお稲荷さんと呼んで祀っていますが・・・ キツネの霊は低級霊! 結論から言って、キツネの霊とは低級霊です。 おとぎ話にあるように、人間をかく乱して面白がろうとするような性質があります。 現代人が、実際にキツネの霊と対峙することはあまりないですが、「キツネの霊は良いもの」と思っているとトラブルをこうむる懸念があり、気を付けましょう。 タヌキの霊も低級霊です。 神社がお稲荷さんを祀るのは、神職者がキツネ霊にだまされただけ。 日本の神社には、キツネの石像を祀るものが多く見られます。これらは「お稲荷さん」と呼ばれ、「〇〇稲荷神社」などと名付けられるところはキツネを特に信仰していたりします。 しかし、キツネの石像には神社を守る力も邪気を祓う力もありません。 なぜ神社にキツネ像が置かれるようになったかというと、昔
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