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子供たちをアニメとどう付き合わせるか。

  • 2025年10月29日
  • 読了時間: 6分

我が子がアニメばかり見ていて、困惑している親御さんは少なくないでしょう。

また、親がアニメを毛嫌いしすぎて見せてくれず、悲しい思いをしているお子さんもいるでしょう。

子供たちを、アニメとどう付き合わせるべきなのでしょうか?



「アニメにしか興味がない」では良くない。

人が、「アニメにしか興味がない」というのは、あまり良い状況とは言えません。

アニメは快楽的要素が強い媒体で、つまりアニメフリークな人というのは快楽主義者なのです。お酒やギャンブルに溺れるよりはずっとましなように見えますが、「快楽に没頭している」という点ではアルコール中毒者やギャンブル中毒者などと同じで、人として危険だと言えます。

家庭や社会において貢献しよう、自分の義務を果たそう、という意識の低い人が多く、「人生は楽しく過ごせばいい」という思考になってしまっている人が多いです。


「アニメも小説も同じではないか?」と反論する人がいるでしょう。

多少はそうですが、やはり違います。

元来、小説の作家には、文学的感性や人生観、専門知識、心理など教養的なものを表現しようとする人々がもっぱらでした。小説にはユーモラスで楽しいものもありますが、その根幹は教養・啓蒙です。楽しい小説は、「楽しい要素もある教養」として描かれているのです。

それに対して現代アニメは、完全に、「快楽」として作成されています。

迫力の戦闘シーンを描くなどして視聴者の快楽的欲求を刺激し、作品に中毒させることを意図して描かれており、それは甘すぎるお菓子のように、リスクの大きなものなのです。「甘すぎるお菓子」というのはアニメを例える表現として、わかりやすいでしょう。

甘いお菓子を食べてもよいわけですが、ふかしたさつまいもや昆布のおにぎりも、おやつとして食べたほうがよいのです。そして食の中心はおやつではなく食事であるべきです。


漫画はもちろんのこと、ライトノベルについても同じことが言えます。



小説に興味がない人は、文学がわかっていない。

「物語を楽しんでいるのだから、アニメも小説も同じだ」と反論する人がいるでしょう。

しかし、客観的に分析したとき、アニメだけを好む人は決定的に違うのです。

アニメは大好きだが文字だけの小説は読まない、という人は、文学がわかっていないのです。

それはあまり良いこととは言えません。

文学がわかっていないだけでなく、「わかりやすい表現でしか理解できない」という知性の低さが助長されてしまいます。

アニメはすべてを視覚的に説明しますし、(現代アニメは特に、)登場人物たちの喜怒哀楽は極端で、ストーリーの起伏も極端なのです。主人公や視聴者を悲しませるために、簡単に人が死にますし、血が出ます。

アニメというのは、キャラの髪色が奇抜なだけでなくストーリーやセリフにリアリティがないのですが、アニメ好きの人はそれがわかっていないのです。そして、こうした極端な感情表現や浮き沈みがないと、生に実感が抱けません。

すると、自分もまた、いつもアニメの主人公のように大げさに喜怒哀楽を表現し、小さな困難があるたびに「ウザいー」と叫ぶような(周囲から見て)くたびれる人になってしまいます。

平成世代の子たちは、ほとんど皆、このような感じです。


アニメも見るが純文学的な小説を読むのも好き、というのならよいのですが、小説を嫌ってアニメばかり見ているようだと、幼稚すぎると言えます。



精神的に大人びてくると、アニメが幼稚に感じられるようになる。

精神性や文学性、人生のリアリティを理解してくると、アニメという媒体が幼稚に感じられるようになるはずなのです。

「喜怒哀楽が大げさすぎるな」「セリフにリアリティがないな」「ストーリーがご都合主義すぎて幼稚だな」といった物足りなさを感じます。

このような感覚になると、アニメ作品に対して、背景の美しさや哲学的側面などに面白みを感じるとしても、「作品全体に没頭する、ということはなくなる」はずなのです。

アニメにお金を払おうとは感じなくなりますし、エンターテイメントの一番手にアニメを置かなくなります。



アニメの中には教育に役立つものもある。

しかし、アニメのすべてを幼稚だと卑下するのも間違っています。

宮崎アニメのように、子供の情操教育や知性教育、人生勉強として役立つものもあります。快楽作品か教育作品かと二択で切り分けられるものでもなく、快楽的要素も強いが教育的な有意義さも結構ある、そんな作品もあります。



社会に迎合することも大切。

子供の頃、ファミコンを買ってもらえなくて友人たちと会話が出来ず、孤立した悲しみを持つ人は少なくないのではないでしょうか?

今やアニメは、日本社会にとってインフラのようなもので、それが良いものであろうが危険なものであろうが、「日常的に楽しむのが当たり前」というニュアンスになっています。

アニメを見ていないと人との交流に支障が出ますし、社会を知ることができなくなってしまうのです。

アニメをまったく見せないで育てると、その子は言動が大人びすぎてしまい、周りから浮いてしまうでしょう。孤立したり、いじめられたりするでしょう。

平成世代くらいの若い人々は、好感度の高い可愛らしい振る舞いが上手いですが、これはアニメから無意識的に学んでいる、という側面があります。


そのため、子供を完全にアニメから引き離すのは間違っています。少なくとも、日本社会で暮らす分には。



芸術の才能はアニメ業界に集中する。

お子さんが芸術に興味を持っている場合はなおさら、アニメに親しみを持たせておいたほうがよいです。

今の時代、能力のある芸術家は、映画でも文学でもなくアニメの業界で表現をするのです。

たとえば素晴らしい作曲能力があるとして、それならアニメソングの主題歌を書く、ということを通して台頭しようと考えたほうがよいでしょう。「アニメなんてくだらない」と考えていると、台頭するのが難しくなってしまいます。

物語を書くならアニメの脚本を書けるように、役者をするならアニメ声優もできるように、なっておいたほうが良さそうです。


高度成長期、素晴らしい文学や音楽は、映画の世界から排出されました。映画こそが最大の芸術で、才能はそこに集められました。今の時代、その役割はアニメが担うようになってきているのです。そしてこの傾向は益々強まるでしょう。

アニメは、ただの子供の娯楽ではなく、社会的地位を持つようになりそうです。

そのうち、学校の教科書などもアニメで作成されるようになったりするでしょう。市役所の小難しい書類もマンガになるでしょう。



アニメを規制するよりも、秀逸なアニメを教えてあげるとよい。

お子さんに対して、「アニメなんて見てはだめ!」と規制をしないほうがよいです。

それよりも、なるべく幼いうちから、秀逸なアニメを教えてあげましょう。

道徳的教訓を強く持つもの、自然の美しさが描かれているもの、「尽くす愛」や素直な家族愛が描かれているもの、などです。

「となりのトトロ」などが思い浮かびます。


また、子供がグロいアニメや下品なアニメに没頭するなら、「お母さんはそういうの好きじゃないわ」と示してあげましょう。それによって子供に分別がついてきます。

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