欧米人の寄付と日本人の寄付の違い。
- acousticlife111
- 2022年3月1日
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欧米人は、日本人よりも頻繁に寄付を行うと言われています。
日本も近年は、ふるさと納税の制度化などによって寄付を行う人が増えてきてはいますが、やはり両者には少々の心理的な差異があるようです。
キリスト教の影響があるもよう。
欧米人に寄付を行う人が多いのは、キリスト教信仰の影響があるもようです。
キリスト教は一般的に、「富める者は寄付をせよ」と説きます。そのため欧米人は、裕福になると余剰のお金を寄付しようと考えます。
欧米の教会や修道院の多くは、富裕者の寄付金によって建設されました。
1000年以上にも渡って、このような文化があります。自分が育った教会が過去の人の寄付金によって建設されたことを知っており、大人になったときに自分も次の世代のために教会を造ろう、と考えるのです。それはおおむね良い思考と言えます。
キリスト教の教義は完全ではありませんが、「道徳の場を造ろう」と考えて寄付をするのは、良い思考と言えます。
もちろん欧米人の行う寄付の中には、よこしまな動機の多いものもあります。
日本人の寄付は「徳を積む」や「節税」「売名」がもっぱら。
日本人にも、寄付を行う人は増えてきていますが、その心理は欧米人のそれとは異なる傾向です。
日本人が寄付を行うとき、それは「節税対策」や「売名行為」であることがもっぱらです。ふるさと納税の開始によって寄付は爆発的に増えましたが、それは結局、慈善の意識ではなく節税や、返礼品を目的としているようなものです。
そして、有名人や富裕者が行う大規模な寄付は、売名行為が多いです。「損して得とれ」というビジネステクニックの一環で、寄付を行って注目や好感を集めれば自分の事業の発展につながるだろう、と目論んでいるのです。
売名行為の意図なく寄付をしたい人は、「寄付をした」と公言しないものです。
または宗教的観念から行っている場合も、「徳を積むことになるから」と考えてのことがもっぱらです。
結局それは、奉仕ではなく、打算的な行動にすぎません。
そして、「〇〇をすれば徳を積むことになるよ」と説く宗教は、真の奉仕者を育ててはいないのです。神道や仏教の多くは、「徳を積め」と教えます。
日本人の多くも、お寺や神社に寄付を行います。
しかし、日本人の宗教的寄付には、理念が感じられません。京都の千本鳥居に鳥居を1つ増やして、何の役の立つのでしょうか?売名や「徳を積む」しか考えていないので、役に立たないことに寄付をします。
その神社の神主は、本当に素晴らしい道徳教育を行っているのでしょうか?それを調べもせず、近所の寺社に寄付をしています。
寄付は良いことだが、対象を熟慮すべき。
「寄付をする」ということ自体は、良いことです。それは奉仕的な行動です。
奉仕や社会貢献、献身をしたいと思ったとき、しかし仕事が忙しくて労力を割けない人もいるでしょう。特殊技能を持たない人や、何をするのが有意義か見つからない人もいるでしょう。そんなとき、「お金を託す」という選択は奉仕的な取り組みの1つです。
しかし、対象を熟慮すべきです!
上述のように、近所のお寺に寄付をしたところで、それが何の役に立つのかよく考えてください。そのお寺の住職が、道徳啓蒙的なことに貢献している様子がないなら、存続を支えても意味がないのです。
「どのような取り組みや思想をサポートしたいか」をよく考えてください。その事柄の存続や発展を、サポートするのがよいです。
ユニセフのような大きな団体よりも、個人をサポートしたほうが有意義です。
個人を見定めるとき、「その人がぜいたくをしていないかどうか」を見るとよいです。その人がごちそうばかり食べているなら、「慈善的な活動をするから寄付をして!」と募っていても、サポートすべきでありません。
ぜいたくをしそうにない人に託すか、または、「この質素な人にたまにはぜいたくさせてあげたい」と思えるような人に託すのがよいです。
「ごちそうでも食べてください」などと言葉を添えるとよいでしょう。彼は貰ったお金を献身的なことに使おうと考えているでしょうから、あなたの寄付にねぎらいの意図が大きいなら、「あなたの好きなことに使ってください」と言ってあげると、彼は自分のことに使いやすくなります。
推し活は奉仕の卵。
現代日本人には、「推し活」に夢中になる人が大勢います。
推し活をしたい気持ちは、奉仕心の卵のようなところがあります。しかし、かっこいいアイドルがお愛想するだけであなたからの1万円を得て、それは有意義なことでしょうか?
もう少し、あなたの1万円を託すにふさわしい対象がないでしょうか?
推し活は、寄付とは言えません。その相手に「ありがとう!」とリアクションをもらったり、ツーショットの時間を買ったり、その相手がまたタレント的活動をするのを見ることが、快楽的に気持ちいいから行っているのです。これは奉仕ではなく、キャバクラ遊びに近い観念です。
しかし推し活をする人の中には、献身的な気持ちの混じっている人もいるでしょう。それは奉仕心の卵です。
奉仕的な人は、裕福でなくても寄付(奉仕)をする。
寄付とは、いつか裕福になってから行えばよいのでしょうか?
奉仕的な人というのは、月収が15万円しかなくても寄付を行ったりします。「いつか裕福になったら寄付しよう」ではなくて、今の自分に出来ることを、もう行うのです。わずか15万円のうち1万円を寄付すれば、買える洋服は減ってしまいます。女子会の数も減ってしまいます。
快楽を我慢してでも、奉仕しようとするのです。それは本当に尊い姿です!!
これは決して、低収入の人に寄付を叱咤する意図はありません!生計に余裕のない人は、自分の生活を守ることを最優先に考えましょう。実家で守られていたりして生計の危機が薄いなら、低収入で寄付を継続するのもよいでしょう。「寄付をしたい」という動機によって労働をがんばれると感じているなら、寄付のためにがんばるのもよいでしょう。
一般的に、奉仕も寄付も裕福になった人が行うものです。「ぜいたくに飽きてきたから社会貢献でもするか」という気持ちになるのです。
しかし奉仕的な人の中には、潤沢なお金があるわけでもなく、大金を稼ぎ続けるスキルがあるわけでもないのに、身を削ろうとする人がいます!「オールドソウル」に多いのですが、こうした人が本当の意味で奉仕的な人です。人のために死ぬことをも、恐れていないのでしょう。欲がないのでしょう。
日本人の寄付に、奉仕的な理念のあるものはほとんどないのが現状です。
たとえば、知り合った事業者が「私は環境事業に1千万円寄付したんですよ!」などと言っていても、尊敬に値する人物とは思えません。気を付けましょう。