核兵器や軍隊を持ったほうが良いの?持つべきではないの?
- acousticlife111
- 2022年3月1日
- 読了時間: 6分
ウクライナとロシアの戦争の機運を受けて、日本でも核兵器や軍隊を持つべきではないかという議論が熱を帯びています。
戦争について、私はあまり書きたくありません。
また、上手く書けるかも定かではありませんが、宇宙の歴史から鑑みる平和論について、解説を試みます。
今、最も安全な国はどこでしょう?
恐らく、アメリカなのでしょう。
アメリカはたくさんの武器を持ち、戦争のノウハウを持ち、臨戦態勢が整っています。そのため、アメリカに敵対心を持ってはいてもアメリカを武力攻撃しようとする国はほとんどありません。
しかし、9.11事件のように、攻撃する国がないわけでもありません。
では、「アメリカに住みたいか」と問われたら、「NO」と答える人は多いでしょう。
銃社会の中で暮らしたくはないですし、ハリウッド映画など見ていると学校でのいじめは日本よりも酷そうです。暴力的な人の数は日本よりも多く見えます。
国際関係の中で言えばアメリカは「強くて平和な国」ですが、アメリカ国内での暮らしにおいて言えば、「物騒な国」です。それは、「戦うことは当たり前だ」という価値観の国民が多いからです。
もしどこかの国がアメリカに戦争を仕掛けたら、アメリカはそれを武力によって叩き潰すでしょう。そのような国が2、3出てきても、すべてを武力によって鎮圧するでしょう。
すると世界は平和になるのでしょうか?
戦う相手を失ったアメリカでは、武器や闘争心を持て余します。
それは、球技や格闘技などの形で発散されるでしょう。そして戦うことを楽しんだり、勝ち負けに興奮したりを、大勢の国民がします。スポーツの世界を眺めていればわかりますが、スポーツも熱狂すると、他チームや他チームのファンを憎んだり、いがみ合ったりします。暴動が発生します。つまり、戦いが発生します。
攻撃したい対象が現れ、国の中で戦いが起きます。
Aチームの選手とファンを抹殺すれば、それで平和になるのでしょうか?同じようなことが起こり続けるでしょう。
国が強大な武力を保持するとき、それは他国からの攻撃を退治するものにはなります。しかし、国内が平和で穏和になる、という兆しは薄いようです。
もし、日本が武力をまったく持たなかったら?
戦争をしないので攻められることは少ないです。しかし経済的な挑発などで他国に反感を買ってしまったり、または「領土を拡大したい」と狙う国に攻められることがあります。
他国で戦争があったときにすぐに軍事介入しようとするアメリカよりは、介入しない日本のほうが、戦争に巻き込まれる懸念は低いです。あなたの子供が軍隊に派遣され傷つく懸念も低いです。
経済的な反感や領土拡大などで、他国から攻められる可能性はあります。
それでも反撃しなかったらどうなるのでしょうか?
多くの日本人が戦争の犠牲になるでしょう。一人残らず殺されるかもしれません。
他国から攻められたとき、反撃したらどうなるのでしょうか?
それでも日本人に多くの死者は出るでしょう。反撃するので相手国にも死者が出ます。そして「戦う」「殺す」「兵士の家族に悲しい思いをさせる」といった戦争における苦痛を、多くの日本人が味わうことになります。
生きていても、いつ殺されるかわからない怯えに苦しみ続けます。「生き地獄」です。
プリクラを撮って遊んでいる場合ではなく、生活は戦争ムードに染められます。
子供たちは幼いうちから兵士として鍛えられ、暴力的に、好戦的になります。
そして日本も、今のアメリカのような好戦的な国民性の国になるでしょう。
武力を持たない。侵略もしない。好戦的な気質もしていない。他国の戦争に介入しない。経済成長の意欲が低く経済的な競争・搾取をしない国が、東南アジアのラオス、チベット、ブータン、ミャンマーなどにあります。こうした地域の山の中に、国としての規模を持たない「民族」も多数存在しています。
戦おうとしない、経済侵略もしない、快楽を見せつけることもしない彼らは、他国から攻撃されることが非常に少ないです。そして平和に暮らしています。
領土拡大、人種差別などの目的で罪もなく侵略される村も、あるにはあります。
戦う意思のない村は、侵略されそうになったとき、さらに山奥に逃げて新しい村を作ることが多いのだそうです。彼らは原始的な暮らしや自給自足に慣れているので、村を焼き払われても新しい土地で暮らしを再建することが出来ます。1つ向こうの山奥まで逃げのびる体力を持っています。
武器を持ち、好戦的になり、敵国を倒し続けることを繰り返し、平和になる国もあります。
しかし、その国民たちは同じ国民の間でスポーツの暴動を起こしたり、友達をいじめたりします。やがてはそれが大規模な戦に発展します。分裂が生じ、「国を分ける」という行動が始まり、また国家間のいがみ合いが始まります。
どこかの強い国が勝ち続け、同じようなサイクルを繰り返すか、または強い国が核兵器のような激烈な武器を使い、人類が丸ごと滅びます。
しかし好戦と恨みを持った魂は、また別のところに輪廻転生をし、その気質で同じような戦いのサイクルを行います・・・。
そのサイクルが不毛だと気づいた人は、強い国を離れて戦わない国や村で静かに暮らします。それが1970年頃のニューエイジャー(の一部)であり、アセンション達成者たちです。
戦おうとする人の数はほんの少しずつ減っていきます。
戦う意思のない人々は、あまり侵略されることもなく平和に暮らします。
時々、罪もなく侵略され、そこで「憎いから反撃をしようか」「家族を殺されたくないから反撃をしようか」「戦いたくないから殺されることを覚悟しようか」とそれぞれに苦悩します。
そこで好戦的になってしまう人もいます。
こうして、惑星単位で眺めると、「戦おうとする人」と「戦わない人」の数が増えたり減ったりします。その増減の陣取りゲームが何百万年も続きます。
ある惑星では、「戦おうとする人」が一人もいなくなりました。
戦う気がないので、武器もありません。好戦的な性格もしておらず、子供に仮面ライダーを見せることもありません。人を傷つけることが嫌いなので、悪口も言いません。
この完全に平和な惑星には、武器がありません。威嚇のための核兵器もありません。軍隊も、自衛隊すらありません。
しかし、この「武器も戦いもない惑星」が醸造されるまでに、多くの人が戦争や暴力や武器の犠牲となりました。最愛の人が殺される絶望を味わいました。憎しみと葛藤するために、ノイローゼになりました。
戦って勝とうするには、多大なる心身の苦しみを味わいます。しかしその先に平和はありません。
戦わずに「武器も戦いもない世界」を築こうとすると、多大なる心身の苦しみを味わいます。しかしその先に平和があります。
戦っても苦しみを味わう。
戦わなくても苦しみを味わう。
どちらも苦しいことには変わりないようです。
しかし、「戦わない」「武器を持たない」ということを固く選択し続けるなら、やがては
その価値観が伝播し、社会すべてが「戦わない」「武器を持たない」という生き方をするようになります。