家族には尽くし続けるべきなの?
- acousticlife111
- 2022年3月1日
- 読了時間: 5分
「家族愛は大切なことだ」と多くの宗教やスピリチュアルが説きます。自己啓発や感動の映画、アニメにもこうしたメッセージを強く訴えるものが多いです。
たとえば旦那が地方転勤を命じられたとき、まったく望んでいない環境についていくことが霊的真理として正しいのでしょうか?
家族に優しくするのは「当たり前」のこと。
「家族に優しくすべき」というのは、ごく当たり前のことです。
それは霊的な真理や功徳ではなく、とても基本的な道徳です。とても当たり前のことなのですが、それが出来ていない人々がとても多いために、古来から宗教や童話や自己啓発は「家族に優しくしなさい」と語ってきました。
多くの人は、「家族とは甘えるものだ」と考えています。
あれを買って、これをして、と甘えるばかりで、家族のために何かをしようとは思っていません。
家族愛を生きているのは父親くらいのもので、母親は旦那に甘えてばかりですし子供は親に甘えてばかりです。
しかし家族愛があるかどうかは、個人差があるものです。
兄のために料理をしたりするなら、家族との協力意識があるでしょう。
あなた自身のことを考えてみてください。
たとえば、中学生くらいでもう、兄のために時々お昼ご飯を作ってあげることがある、というなら、あなたは家族との協力意識があるでしょう。
生活の中で、親や家族に甘えるばかりでなく何かを施してあげたり、お風呂掃除を毎日当たり前のようにこなす、といった暮らしをしているなら、あなたには家族愛があるのです。
施したり譲ったり、協調したり思いやったり、といったことが、あなたにとって「そんなの当然のことだ」と思っていても、それがあまり出来ていない人々が大勢いるのです。「わがままだ」と誰かに言われているような人は大抵、家族に対しても身勝手で、家族愛が希薄です。家族に対して求めてばかりなのです。
家族愛は愛を学ぶ基礎の場であり、それを外に活かしていく。
家族とは決して、愛を最も注ぐべき場ではありません。「お父さんは私のたった一人の家族なんだから、私は守らなくちゃ!」などと感動の映画は言いますが、その考えは間違いです。
「お兄ちゃんは不良になっちゃっても私のたった一人のお兄ちゃんなの!」などと彼を甘やかすのは間違いです。
家族とは特別に愛すべき人ではなく、愛や協調を学ぶための最初の教材にすぎません。
学校や会社、社会に出ていくために、施したり譲ったりすることを練習するのです。
家族とはただそれだけのものにすぎません。
結婚相手も同じ。
あなたを生み育てた家族だけでなく、あなたが結婚相手に選んだ人との家族も同じことです。
人々は配偶者や子供を通して、愛することや協調すること、施すことを学びます。
なぜ2度も学ばなければならないのでしょうか?
生まれた家族の中で、それを学べなかったからです。「家族とは私を愛してくれるものでしょ?」と期待ばかり抱き続けて、厳しい父親や淡泊な母親に不満だった人は、大人になって恋人に新たな家族を求めます。
彼氏は自分を愛してくれそうに見えます。しかしそれは、結婚をしてしばらくすると崩壊します。セックスに飽きると冷たくなります。
または彼が優しくしてくれるとしても、子供が生まれ、強制的に子供の世話をする試練を抱えます。
家族の中で学んだ愛を、多くの人に施すのが成熟。
施したり譲ったりする協調性を、まずは培います。
ご飯を作ってあげたり、毛布を1枚分けてあげたりといった愛情を、家族ではない人々にも施せるようになるのが、人としての成熟です。家族という小さな枠にとらわれずに、もっと大勢の人々と愛し合って暮らします。
アセンションとは、家族ではない人々と家族のように愛し合って暮らすことです。
最も世話になった家族にすら、施しのできない人もいるのです。
しかし、「家族に施すなんて当たり前のことだ」と板についている人もいるのです。そのような人にとって「家族を愛しなさい」といった忠告はまるで無意味です。
旦那の転勤についていくべきとも言えない。
旦那が急の転勤を言いつけられたときに、それにあなたや子供たちが服従すべきとはかぎりません。
夫婦には様々な形があり、「私たちは家族を養うためのパートナーにすぎない」と二人が考えているなら、彼が遠くで生活費を稼いできてあなたが今の家で子供たちの暮らしを守る、という役割分担を貫くのもよいでしょう。
たとえばあなた自身の仕事がとても充実しているのに、旦那が転勤を命ぜられたから旦那のために仕事をあきらめる、ということは必要ありません。
子供たちにとって住み慣れた町を離れることはとても大変で、転校をしなくても暮らし続けられる選択肢があるなら、それを画策してやることも大切です。
「夫が転勤になったのだから妻や子供はだまって従うべきだ」と強要してくる男性がいるでしょう。
それは霊的な正論ではありません。
「私たちはこの町に残りたい」と主張する権利はあり、「意見が合わないのならここで離婚をしましょう」と提案する選択肢もあります。
何もしない旦那に尽くし続ける必要はない。
結婚してしばらく経ってから、仕事をしなくなったりアルコール中毒になったりなど、何もしなくなってしまう男性がいます。
このような堕落した男性を「夫なのだから」と言って献身的に養い続ける妻がいます。
しかし、その必要はありません。
あなたは彼の世話に縛られず、もっと自由に生きてよいです。離婚をして他の人生を選んでよいです。