マウントをとる自分に自己嫌悪する。どうしたらいい?
- acousticlife111
- 2022年3月1日
- 読了時間: 5分
「マウントをとる」という言葉があります。
友人や知人、またはSNSの見知らぬ人々に対して、「私のほうが優秀だ」「私の所持品のほうが上等だ」自慢するような所作をいいます。
「マウントをとってくる知人にストレスをこうむる」というニュースはよく見聞きしますが、いつしか自分も知人に対してマウントをとっていることに気づき、自己嫌悪にさいなまれる、という人もいるでしょうか。
あなたの場合、マウントではなくただの「優越感」なのでは?
自分の所持品と友人の所持品を比較していても、それについて口に出すわけではなく心の中で「私のほうが上質だわ」と安堵しているだけなら、それは「マウントをとっているわけではない」です。
自分と他人を比較し、ただ優越感を感じるだけであれば、そう自己嫌悪することもないでしょう。
普段誠実な人はあまり「マウントをとる」ことはしないもので、感情が自己完結しているなら他人を傷つけているわけではなく、あまり気にする必要はなさそうです。
努力して掴み取ったものを誇りに思うのは、悪いことではないでしょう。
他人と比較して優越感に安堵するとき、その比較したものは何でしょうか?
たとえばばそれがテストの点数であるとか、学生時代の吹奏楽部のコンクールの成績だとか、「努力によってつかみ取ったもの」なのであれば、自分を誇りに思うのは悪いことはではないです。
自分の努力の成果を実感するためには、他者との比較や平均との比較、という指標がどうしても必要になります。
「私の家はお金持ちだ」など努力に関係しないものなら、心が貧しい。
他人と比較して優越感に安堵するとき、その比較したものは何でしょうか?
「友達の家ではおやつに3連プリンが出てくる。うちはいつもデパ地下の高級なプリンだ。うちのほうがお金持ちだわ」あなた自身の努力でない事柄で優越感に浸っているなら、それは少し心の改善が必要です。口に出していないとしてもです。
(そもそも毎日デパ地下のスイーツを食べる家庭が良い家庭というわけでもありません。お金持ちが良い家庭というわけでもありません)
「自分が属しているもの」と「自分自身」を混同して、「キンプリのほうがTOKIOよりもたくさんのCDを売っているわ」などと誇らしげにしているなら、それはあまり良い精神ではありません。
しかしこういう人は推し活やスポーツの熱狂的なファン、政党支持者など多方面に数多くいます。
何かのファンをすること自体は悪いことではありませんが、自分自身でも何かの成果を出す努力をしたほうがよいです。
人生とは、キンプリを応援することで全うされるわけではありません。
「いいえ、キンプリが売れたのは私の努力のおかげだ」と反論する人がいるでしょう。しかしそれは「サクラ」という行為と大差ないのではないでしょうか?あなたの努力が影響しているかもしれませんが、努力の方向が間違っていそうです。
SNSは、交流する人を賢く選んだほうがよい。
人は、自分の身近な人々の影響を受けやすいです。
SNSで他人のマウントにストレスをこうむったり、自分もマウントをとるようになってしまったりして心のすさみを感じるなら、SNSのフレンド、フォローを見直したほうがよいです。
SNSに投稿する人のすべてが自慢気なわけではありません。SNSに投稿する人のすべてが批判口調なわけではありません。SNSに投稿する人のすべてが推し活に夢中なわけではありません。
もっとさわやかな投稿ばかりを好んで行う人もいます。
あなたのフィードがさわやかな人のものばかりであるなら、SNSを読んでいてストレスにイライラすることはないでしょう。あなたの投稿が、ランチの映えを競い合うようなものにはならないでしょう。
マウントをとる人は、幸せなわけではない。
SNSなどで知人がマウントをとってくるとき、「この人はお金持ちでいいな」「リア充でいいな」などとうらやましくなるでしょう。
しかし、マウントをとる人の心理をのぞいてみると、幸せではないことが多いものです。
むしろ、本当に欲しいものを得ていないから、ファッションやグルメや旅行を自慢するのです。胸を張って自己表現できるものがないから、アイドルやアニメの知識をひけらかすことで存在感を発揮しようとするのです。
そう気づいたとき、芸能人のこともあまり心酔しなくなるでしょう。
Instagramなどでの投稿が盛んな芸能人は、自己顕示欲・承認欲求・かまって欲求がとても強いのです。「みんなに注目されたい」「みんなに褒められたい」といった欲求が強くて懸命に投稿するのです。
あなたが高校生の頃に、懸命にプリクラを撮ってクラスの子たちに見せびらかしたのと同じ心理です。「幼稚なものだな」とわかるでしょう。
多少の自己表現は、したほうがよい。
SNSなどにおけるある程度の自己表現は、コミュニケーションの一環、社会性の一環と言えます。それは悪いことではなく、むしろ多少は行ったほうがよいでしょう。
SNSが嫌ならSNS投稿をまったくしなくても良いですが、であればリアルの生活の中で友人や知人に「こんなにキレイに玉子焼きが焼けたよ!」と写真を見せておどける、といったことは、あったほうが良いと言えます。
「かわいい服を買ったの♡」と彼氏に自慢して微笑むことは、あったほうが良いことと言えます。
ヒンシュクを買わない相手を選ぶとよい。
たとえば旅行で見た風景をみんなに見せたい、という心理は自然なことです。
しかし、コロナ禍に旅行の写真を投稿するとヒンシュクを買う、といったこともあるでしょう。
であれば、披露する相手を選ぶとよいです。
あなたが披露したいものを、煙たがらない・喜んでくれる人を選びましょう。SNSの中で披露するなら、公開相手を選択する設定もあるはずです。