やりがい搾取と生きがい探し。
- acousticlife111
- 2022年3月1日
- 読了時間: 3分
「やりがい搾取」という言葉があります。
「お客様の幸せのためにがんばろう!」などと社長が煽ることで、職員が安い給料で重労働をさせられることを言います。
友人に「仕事が大変だった」とこぼすと、「やりがい搾取されてるから転職したほうがいいよ!」などと言われ、身を振りを考える人がいるでしょうか。
「やりがい搾取」は良いことでない!
言うまでもなく、やりがい搾取は良いことではありません。
社長が、「お客様のために!」などと大義名分を振りかざすことで職員に重労働を課すことは、まったく良いことではありません。
しかし、利益を度外視して何かに夢中になることは、悪いこととはかぎりません。
自分から選ぶなら、それは「生きがい」となる。
割に合わない大変な仕事だとしても、自分から「この仕事をやりたい。この仕事を丁寧にやりたい」と意気込んで行うなら、それは「やりがい搾取」ではなくなります。
それは「生きがい」です。「生活にハリがある」という状態です。
輝いて見える人というのは「生きがい」を持って何かに一生懸命なことが多いです。
毎日ただ同じハンバーグを作り続けるのではなく、お客さんのニーズや体格に合わせて調理の内容を少しずつ変えてみよう、と意気込むとき、仕事の1時間がとても速く流れるように感じるでしょう。
仕事でなくてもよいが、仕事だと一石二鳥。
人は皆、何か生きがいを見つけるべきです。利益を度外視してがんばる何かです。
生きがいは仕事でなくてもかわまないのですが、どうせ私たちは仕事をして生活費を稼がなければなりません。仕事をしないと社会性が保てません。であれば、仕事が生きがいを兼ねていると効率が良いというものです。
要は、「楽な仕事は何かな」を模索するのではなく、「がんばりたいと思える職種や職場を探す」とよいのです。
「趣味を兼ねた仕事ならがんばれる」という人もいるでしょう。カメラが大好きなのでカメラ屋さんでの商品説明を残業してまで施すのが楽しい、と感じます。
結局、こういう人はたとえ安月給だとしても楽しそうです。
そのような仕事を見つけるのは、簡単ではありません。22歳でいきなり見つけ出すのは不可能というものです。幾つかの職種や会社を経験する中で、「ここはやりがいがある」と感じるのが普通です。
仕事を見つけるのが難しければ、人助けもよい。
生きがいを感じられるような仕事を見つけるのが難しく、慣れた今の仕事を手放すのもリスクが大きすぎる・・・というような人もいるでしょう。生きがいとまで言えなくともそつなくこなしているなら、それはそれで良いです。
その場合は、「利益を度外視してでも助けたい」と思える人を探して、人助けをするのもよいです。
多くの現代人にとって、それが「推し活」になってしまっている感があります。
推し活もある意味では人助けですが、アイドルめいた活動をする人のために3連休をとって5万円を使ってコンサートに行くよりは、もう少し精神性のある活動をする人を助けたいところです。
尽くす恋愛をするのも良いです。
「時給に換算したら高校生のアルバイト以下だ。でもイキイキした気持ちになるからいいの」
そんな労働が幸せなのです。
そんな献身が幸せなのです。