「謝罪は要らない」と言われた時の真意をわかっていますか?
- acousticlife111
- 2022年3月1日
- 読了時間: 5分
人に何か迷惑をかけてしまったり、心ない言動で傷つけてしまうことがあります。自分が悪かったと気づいて菓子折りを持って謝罪に行こうとしても、「謝罪は要らない。来ないでくれ。メールもしないでくれ」などと言われることがあるでしょう。
「謝罪は要らない」という言葉の意味をわかっていますか?
「あなたが怖いから、会いたくもない」ということ。
「謝罪は要らない。もう連絡しないでくれ」という言葉は、「あなたのことを許しましたから気にしないで」という意味ではありません。
「あなたが怖いから、会いたくもないし、メールを開くことすら怖い・不愉快だから何もしてこないで」という意味です。
あなたからすれば、「私は改心したから大丈夫なのに」と思うかもしれませんが、相手からすればあなたが怖いのです。あなたの言動が不快なのです。
あなたは「改心できた」と思っていても、他者から見れば問題点を改善できていない場合も多いです。
学生時代、クラスのいじめっ子が問題を起こし、先生に促されて「ごめんなさい」と被害者に謝っても、彼の意地悪な言動は改まっていないでしょう。
謝罪の瞬間だけシリアスな顔をしていても、性格が変わったわけではありません。
人から愛想を尽かされる人は、自分の欠点を理解できていない。
「もう連絡してこないで」などと人から愛想を尽かされる人は、自分が意地悪な言動をしていることや、無神経な、不愉快な言動をしていることを、あまりわかっていません。人から指摘され、「そういうところもあるのかも」とは思っているでしょうが、あまりわかっていないのです。
だから同じような問題や粗相、嫌われることを何度も繰り返します。
自分の欠点をわかっておらず、「謝ったんだから許してくれよ」と能天気にしています。
「いや、あなたはわかっていないし、反省の色も見えないわ」と言ったところで暖簾に腕押しなので、周りの人は愛想をつかすのです。そして「もう関わらないで」と伝えたり、ひっそりと距離を置きます。
人から愛想を尽かされたり、頻繁に同じような指摘を受けるなら、「私は自分の欠点を、わかっているようでわかっていないのかも」と謙虚に受け止めたほうがよいです。
そうでないと改めることは出来ませんし、人から疎まれることもなくならないでしょう。
謝罪自体はすべきです。
「謝罪は要らない」と言われても、謝罪自体はすべきです。
会って菓子折りを渡すのではなく、会わずに、あなただとわからない方法で謝礼金などを送ればよいです。
共通の友人に託す、というのもよいでしょう。「あなたの知人からお金を預かってるよ。名前を出さないでと言われたわ」などと言わせれば、あなたのことを思い出さずに謝礼金を受け取ることが出来ます。
差出人欄を書かずに郵送で送るのもよいでしょう。
「謝罪金です」「お詫びの気持ちです」とだけ添えておけばよいです。
法律社会が、かえってモラルを低下してしまった。
私たちの社会を見渡したとき、罪や迷惑行為に対する償いがあまりにもないがしろにされすぎです。
それは、「罪は起訴されなければ裁かれないし、償う必要もない」という法律社会によるモラルの低下です。
しかし、弁護士を雇って起訴するのにもお金がかかり、労力がかかり、ストレスをこうむります。
被害者の側はそんなことまでしたくはないものです。
起訴されなければ償わなくていい、という制度はおかしいのです。
私たちの社会は、加害者に優しすぎるおかしな社会なのです。
法律がどうであるかではなく、モラルで物事を考えてください。
仲直りではなく、隔離でよい。
たとえば小学校や中学校では、よくいじめや意地悪行為が発生します。
いじめがあっても先生は、「加害者のA君は謝罪したのだから、許してあげようね。はい仲直り」と言って被害者の子に許しと仲直りを強要します。
こうした仲裁が当たり前のもの、理想的なものとして行われていますが、先生は意地悪された側の気持ちをわかっていないようです。
意地悪な子というのは、先生が注意したところで意地悪をやめないものです。シリアスな顔で「ごめんなさい」と謝罪のアクションをとったところで、それは演技にすぎません。
意地悪された側はそれがわかっています。だから彼のことは怖いままです。話したくないですし、関わりたくないです。
それなのに、「仲直りして仲良くしなさいね」はあまりにも無神経です・・・。
このようなとき、「仲良くしなさいね」ではなく、お互いに干渉せずに生活させたほうがよいです。
フリースクールなどではこのような子たちを同じクラスにしないように配慮したりしますが、普通学校でもこのような配慮がなされるべきです。同じ班にもすべきでありません。
学校は友情やコミュニケーションを学ぶ場ですが、いじめられた子がいじめっ子を許して仲良くしてあげるべき、というのは間違っています。
償い=改心とはかぎらないが、償いはすべきです。
償い行為を行ったからといって、改心したとはかぎりません。だから被害者側としては怖いままで仕方ないですし、許せるものでもありません。
しかし、償いはすべきです。
刑務所に入ったところで、改心するとはかぎりません。しかし刑務所に入って償いの生活を何年も送る、といったことは必要と言えます。刑務所の制度が完全だとは言えませんが、類似するような行動や仕組みは必要と言えます。
カルマ云々の前に、迷惑をかけた張本人に償いをしましょう。